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Colors2 - 「Line」番外編




 大学一年のとき一般教養で知り合った当初は七人だったけど、前期が終わる前に二人抜けてしまった。それ以後今に至るまで五人の結束は変わらない。卒業してからも、よく飲み会をしていた。
 けれど妙ちゃんが出産してからは、五人全員で集合するのは今日が初めてだ。みんな交代のようにして私と一緒に、身動きのとれない妙ちゃん家へと遊びに行ってはいたけれど。
 人が行き交う駅の南口、先に男ばかりが三人いる中で、私たちを発見した長谷川悟くんが恥ずかしげもなく無邪気に手を振った。年齢より幼く見せる朗らかな満面の笑顔はいつまで経っても変わらない。
「おー、千佳ちゃんがピンク着てる!」
 近づいた途端、待ちかねたかのようにしてどんぐり眼で叫ぶ。ペコちゃんが水着を着ていてもここまで騒いだりはしないかもしれない。
 うわ。思い切りうろたえて、私は目を泳がせる。


 今日は大学時代の仲間で集まることになっていて、私と西田妙子ちゃんは先に会って遊ぶ約束をしていた。たまには羽を伸ばしておいでということで、妙ちゃんの愛娘は旦那さんの西田さんと一緒に彼の実家で夜まで過ごすことになっているのだそうだ。
 彼女は独身の頃はお出かけ大好きな人だったんだけど、西田さんが出張の多い忙しい人なので出産以降はほとんどその機会はなく、今日が久しぶりの外出になるらしい。だから、話を取りまとめている時から遠足を前にした小学生のように張り切っていた。
 とはいえ、いつも母娘で一緒にいるんだし心配はあると思う。気になる?って訊ねたら妙ちゃんは苦笑まじりに頷いて、「でも、何かあったらすぐ電話する。お前からはかけてくるなよ、って釘を刺されちゃったのよね」と答えた。妙ちゃんの旦那さんは先回りが得意なのだ。
 お茶して、買い物をして、話をしながら駅周辺をぶらつく。学生時代に戻ったような懐かしくて楽しい時間だった。
 長谷川くんは、到着した後もまだ念入りに眺めている。
「しかも模様入りだよ。へー、初めて見た」
 確かにピンクの柄物ワンピースを着ています。…そりゃそうだ。私だって何年ぶりどころか十のつく単位でピンクを身につけた覚えがないのだから。嫌いな桃缶を食べていない歴よりもっと長い空白期間があると思う。
「ほー」
 とっても居心地が悪い。久しぶり、だとか、元気だった?とか、挨拶するきっかけが掴めない。ていうか、今の長谷川くんは要らなさそうだ。
 困って黙っていたら、さらにとんでもないことが口から飛び出す始末。
「なになに。彼氏の影響?」
「えぇっ?」
 動揺のあまり半分裏返りかけた変な声が出てしまう。視線を彷徨わせた後、私はそのよく喋る口に何か突っ込むものはあったっけとかばんの中に目を落とした。
 けど、いくら凝視してもない。長谷川くんの口に押し込んでも惜しくないと思えるものがない。
 長谷川くんの肩越しに見える当の彼氏こと藤井くんは、しれっと何食わぬ顔して柱にもたれている。いや、知らん振りしてくれてた方がありがたいんだけどね。なぜなら、えっと、その…ビンゴといいますか、たぶんその彼氏の影響というやつなんだもん。
 先日藤井くんの部屋でファッション雑誌を読んでいた時、仕事の手を休めた彼が横からひょいと覗き込んで、「お前、白とかベージュとかばっかだろ。あまり意味ないんじゃねぇの」なんて言うから。自分こそ白か黒か紺かグレーしか着ないくせに。むっとして「こういうの着てほしいなら素直にそう言えば」なんて憎まれ口を返したら、ほんとに素直になりやがるものだから。
 おまけに買い物中につい気になって『こういうの』系を見ていたら妙ちゃんが一緒に見てくれて「似合うじゃん」なんて誉めてくれたものだから。最後に、「せっかくですからそのまま着ていかれたら」なんてにこにことした感じのいい店員さんの勧めに、その気になって乗ってしまったものだから。
 ああぁあ、我ながら流されやすすぎる。どうにも居たたまれない。落ち着かない。照れくさくて仕方がない。ぱちんと指を鳴らせば黒子か忍者みたいなお付の者が移動式更衣室を運んできてくるようなブルジョアに生まれたかったと、今ほど強く思ったことはないだろう。
 こんな思いをするは成人式の着物の時以来かもしれない。
 慣れないことをするんじゃなかったと後悔し始めたとき、ひょろっと縦長シルエットをした谷晴久くんがのんびりとした口調で助けてくれた。
「ガキみたいな反応してるんじゃないよ、悟」
「相変わらずデリカシーの足りない奴ねぇ」
 いつ口を挟もうかタイミングを計っていたらしい妙ちゃんも、長谷川くんの肩をぺちんと叩いてたしなめる。
「はしゃぎすぎなんだってば」
「そうそう、無駄に鼻息荒いんだよ。思春期の青臭い少年みたいだぞ」
「なんだよ、いいじゃんか。久しぶりなんだし、お前らだって生まれ変わったこいつらをいじり倒したいとか思ってるんだろー」
 立て続けに突っ込まれて、長谷川くんがむぅっとむくれた。三十歳も近いような男がかわいらしくいじけてみせても気味が悪いだけなのに、彼にはなんだか許してしまえる愛嬌がある。言いづらいようなごまかしたいようなことを正直に率直に言ってみせても、けっして深刻な不快さを招かない羨ましい人柄。
 変わらないなぁ、ほんとに。思わず笑みがこぼれた。以降私そっちのけで三人がわぁわぁと賑やかに話をし始めたので、そっと離れて藤井くんの近くに行く。
 昨日の朝別れたばかりのその人の顔を、今は直視できなかった。彼の目にどう映ってるのかわからないけど、何ごともないかのように流してしまいたい。
「よう」
「よう」
 目を伏せつつ、なんだそりゃな挨拶を交わす。と思いきや単刀直入、さくっと指摘されてしまった。
「なんで目逸らしてんだ?」
「えぇえっ」
「なんだよ、それ」
 またもや発声練習に失敗したみたいな変な声を出す私に、藤井くんは苦笑したようだ。その気配に引かれて視線を向けると、やっぱり笑いを抑えたような顔をしている。む、長谷川くんの会話を聞いてたくせに。あきらかに困ってたのを見ていなかったとは言わせない。
 なんか面白がられてるような気がして面白くない。一気に我を取り戻して高い位置にある黒い眼を睨み上げた。
「別にっ」
「いきなり怒り出すしな。訳わかんねーよ」
 肩をすくめてみせて、柱から身を起こす。そう言いつつも気を悪くしているわけではないことは、穏やかに細められた目を見なくたってわかることだ。普段愛想のないような顔をしてるけど、今は口元もちょっと緩んでいる。
 足元から響く電車の走る音。雑踏のざわめき。外から流れてくる生暖かい風。傾いた日差し。車の音。そんなものをすり抜けるようにして、藤井くんが身を寄せてくる。長身を折り、笑みを含んだ低い声で耳打ちをした。
「ていうか、観察されてるぞ。いいのか?」
「えっ」
 ぎょっとして振り返ると、にやにやとした三人組が揃って興味深そうにこっちを眺めていた。途端にかっと顔が熱くなる。
 タダ見するなよ、と平然と返す藤井くんの声が頭の上を飛び越えていった。ケチくさいぞー、という声がやはり頭の上を飛び越えて戻ってくる。またもや私はそっちのけ。
 あーもう。もう! ピンクも柄もどうでもよくなってきた。
 そりゃ、言ってみればグループ内交際に分類されると思うんだけど。嫌だと思ったことは全然ないけど、少しやりにくいと思う。意識しすぎなのかな。
 こういう経験をしたことがないからわからない。学生時代に普通はするかもしれないけど、あんまり縁がなかったし…って、考えてたら情けなくなってきた。

 妙ちゃんと私が隣り合わせ、前に藤井くん、谷くん、長谷川くんの順で並ぶ。誰かが決めたわけでもないし毎回絶対そうだということもなかったけど、理由もなく自然にそうなる配置がまたまた懐かしくて私たちは目を合わせて笑いあった。
 妙ちゃんの帰宅時間にあわせて、飲み会は早めにスタートする。歩き回って足がパンパンだったしお腹も空いていたので、ちょうどよかった。
 時間帯が早いからか、店内には人がほとんどいなかった。ものすごい勢いで料理が運ばれてくる。けれどみんなお腹が空いていたのか、負けない速さでお皿が空になって戻される。さながらわんこそば状態だ。
 そして、私と藤井くんが付き合うことになったという報告に対し、妙ちゃんから「たぶん飲み会になるね」と予言を返されたときから覚悟していた通り、当然の流れのように話題は私たちのことに集中した。
 唐揚げを飲み込みながら長谷川くんが気持ち声を低める。どう低めたって聞こえるんだから意味ないなって思おうよ。
「俺、いまだに『うっそぉ。でも納得。でもマジで?』ってな複雑な気分なんだけど。妙ちゃん最初に聞いたときどう思った?」
「『信じられない。ううん、やっぱり、なのかも。いや、うーん、どっちだろう』って感じ。千佳にそのまま伝えたけど。谷くんは?」
「あぁ、俺も同じようなことを藤井に言ったな。で、どんな風になってるんだと思ってたら、全然変わってないようだから少し笑えた」
「うん、びっくりするくらい変わってないよね。『三崎』と『藤井くん』のままだし。あたしの呼び名も『原』から変わらないなぁとは思ってたけど、自分の彼女もそうなのって驚いたわよ」
 言い切った後、喋りすぎて喉が渇いたのか妙ちゃんは梅サワーを飲み干した。
 …。ひたすら赤面する。まぁ藤井くんは殊例な方だと思うけど、呼び方なんてそんなに急に変えられるわけないっての。それに『三崎』じゃないときだってあるけど、そんなこと主張するのも変じゃない。
 どこに顔を向ければいいんだ、ていうか、話に入れないじゃないか。本人たちを前にして堂々と噂話なんかに興じないでほしいんですけど。
 別に有名人でもないのに、ていうか小市民だからこそつい挙動不審気味にきょろきょろと見回してしまう。でも、各テーブルが独立した間取りとなっており、また照明に工夫もされているのか、よくも悪くも周囲の様子は掴みにくいようになっていた。気配から人は少しずつ増えてるなってことはわかるけど、それだけだ。
 禁煙席でもないのに、タバコの臭いすら漂ってこない。

 なんだろう。一対一とかだったらそんなに気にならないし、実際さっきは照れながらも妙ちゃんと話をしていた。なのに、集団の中で自分の話題を取り上げられると逃げ出したくなってしまう。話題の中心にされることに慣れてないし、恋愛話とあれば尚更なのだ。
 それなのに同じく当人であるはずの藤井くんはといえば、まったく気になりませんといった表情でマイペースにビールをあおっているのだった。…私もあおってやろうか、ビール。酔っぱらってやる! などと、やけっぱちな気分になってくる。
 そんな藤井くんを見咎めたのは長谷川くんで、彼らしい大胆さで真正面から絡んできた。
「澄ましてないで、なんか聞かせろ。実感できねーぞ、ひろ」
 ちなみに、ひろというのは藤井博人の「ひろ」だ。どうでもいいけど、そんなかわいらしい呼び方は藤井くんには似合わない。ドーベルマンにポチと名づけるようなものだ。
 妙ちゃんが未踏のジャングルに赴く隊隊長だとしたら、彼はその隊員に違いなかった。
 そもそも藤井くんは昔から恋愛話を好んで披露するタイプではない。かといって、隠すタイプでもないけれど。
「当人以外に実感してもらう必要なんかないだろ。まぁ、女に恥かかせるのはよしとけよ」
 案の定藤井くんは動揺の欠片もなくあっさりと流す、んだけど、
「あ、なんか今のむかついたな」
 のほほんと突っ込んだのは、いつの間にか日本酒にシフトしていた谷くんだった。知るかよ、と顔をしかめて藤井くんが素気なく答える。お互い本気で腹を立てているわけじゃないから、谷くんは軽く笑って次に私に目を向けた。
 キープしておいたトマトとルッコラのベーコンサラダを口に運ぼうとしていた私は、うっと箸を止める。
 目尻に皺ができてほっぺたに片えくぼができて、無条件に微笑み返したくなるような安心させる笑顔を谷くんは持っている。もともと身にまとっている人のよさそうなオーラが、笑顔になるとさらに力を増すのだ。言葉の通じない宇宙人との交流もうまくいきそうな…きっとお嬢スマイルな後藤くんと組ませたら最強。
「もしかして、三崎、緊張してる?」
「…してます」
 急に振られてうろたえたけど、今ここで虚勢を張っても仕方がないので素直に頷くことにした。
「口数少ないもんな。ごめん、困らせたいわけじゃないけど、今日はお祭りみたいなもんだと思ってちょっとだけ許して」
 頑ななものをほぐしてしまうような、ついうんって頷いてしまいたくなるようなこの人当たりのよさ。その柔和さを隣の人に少しわけてあげてください、と関係ないことを思いつつ私はむすっと視線を返す。ごまかされるもんか。そう、思ったのに。
 ウーロン茶で湿した喉から出た返事はこんなもんだ。
「やだ。……けど、いいよ」
「どっちだよ」
 そして、ウーロン茶を吹きそうになる。早っ。何その突っ込みの早さ。そしてなぜそこであなたが突っ込むんですか。
 誰よりも早く突っ込みを入れてきた目の前に座る男の足を、テーブルの下でえいっと蹴ってやった。お情けでミュールを脱いで。
「お前、子どもみたいな真似すんなよ」
 眉をひそめた藤井くんが抗議の声をあげる。と、耐えかねたかのように横で妙ちゃんがぷっと吹き出した。
「なんか落ち着いた」
 え、と目で問いかけると、彼女はふふっと笑って肩をすくめる。場違いだけど、なんだか色っぽい仕草だ。
「あたしもちょっと気を張ってたみたい。千佳、こういう話題にデリケートだからね。かといって何も話さないのも不自然だし、どうするのがいいのかなって思ってた。でも、今のやり取りを見て力が抜けたわよ。いちゃつきに見えない微妙さ加減は変わってないんだもん。あんたたち、いつスイッチ入るのよ」
「妙ちゃん…」
 後半でそれこそ微妙な表現をされたような気がするけど。きれいに巻いた髪の毛を揺らしてにっこりと微笑む妙ちゃんに、私は胸を突かれた。私、また自分のことだけで精一杯で、周りを見ていなかったんだって反省する。
 と同時に、同じだったんだとわかったことで、背中のどこかにあった強張りも解けてきた。
「ごめん……ごめんね。ありがとう」
「やだ、何言ってるの。千佳こそあたしが結婚前にブルーだったときよくしてくれたじゃない。深刻に捉えすぎだって」
 妙ちゃんが口をへの字にしたのは、たぶん照れているからだろう。なんとも言えない温かい気持ちが沸いた。
 そんな感動シーンをぶち壊すかのように、好機は逃さんとばかりに長谷川くんが妙ちゃんをからかい始めるんだれど、隊員より隊長が強いのは当たり前。
「あたしは今幸せ者だから余裕あるのよね」
 きれいな形をした眉を持ち上げて、妙ちゃんは堂々と幸せ宣言をしてみせた。花のような笑顔とはまさにこのことだ。なんだよーとか呟いて悔しそうな顔をする長谷川くん。俺だって気ぃ張ってたし今幸せだもんね、って言い返している。
 お子ちゃま集団みたいになってきたなぁ。微笑ましく見ていたら、
「俺は全然緊張してないけどさ」
 なんてとぼけた声が斜め前から聞こえた。
 視線を移すと、隣からにゅ、と伸ばされた腕がガラスのお猪口に日本酒をついでいる光景に出くわす。あー、ありがとう、と言って、にこやかな顔で谷くんはお猪口に口をつけている。二本目なのに酔っぱらった気配はまったく見当たらない。
 お酒をついだ藤井くんは、戻した手でビールジョッキを持ちつつ私を見て苦笑を浮かべた。…それはいいんだけど、なんか、なんというかその顔は、ちょっと…二人だけのときに見るような表情っていうか、その。何? なんで?
 急に早くなった鼓動に狼狽して息を詰めていると、藤井くんの笑みがもっと意味深くなる。
「俺たち色気や潤いが足りないらしいぞ」

「なんかやらしいなぁ、ひろちゃん」
 すかさず谷くんが返してくれたおかげで、なんとか逃亡せずにすんだ。助けに入ってくれたくせに、にやにやとからかうような意地悪そうな顔をしているのは気になったけど。
 ちゃんづけされた藤井くんは非常に嫌そうに険のある目で谷くんを睨む。その隙に素早く立ち直った私は、仕返しに、再びテーブルの下で藤井くんの脛の辺りを爪先で軽く小突いてやった。



(05.05.06)
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