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第3章  伝説と歴史と


  不動なる放浪者を讃えよ
  罪深き目覚めには永遠の契約を
  喪失の微眠みには希望の歌を
  彼の安息を願い我ら祈りを捧げん

◇◇◇

 神々が地上に留まった最後の場所、《光る森》。聖なる息吹に包まれた至福の地、喜びと癒しに満ちた彼の森は祝福された者のみを受け入れるという。
 神秘の国ロヴァニアの守護者は、祝福を受ける者だった。健やかに輝かしく、はるかなる光と闇の寵を約束された者として《光る森》に在った。
 救国の乙女フィリシエラとその仲間《無名の騎士団》が現れるまでは。
 乙女の美しい歌と白い手に誘われ聖地を離れた賢者は、暁光王ディストレーンと力を併せ歪んだ闇に滅ぼされたロヴァニアを甦らせる。
 以来、彼は王なる者と契約を結び王と共に国を護ると伝説は伝える。

 それが単なる英雄譚でないことは、ロヴァニアの長い歴史が証明する。
 豊穣の大地と溢れる水脈、変化に富んだ気候に恵まれたロヴァニアは、豊かであっても小さな国だった。反乱。戦争。王宮炎上。国境紛争。大国に絡まれ陰謀に流され紛争に巻かれ、しかし数多の困難にも潰されることはなく、乗り越えるごとに神秘の輝きは増していった。
 「不敗の王国ロヴァニア」。
 湖面に広がる波紋がいつしか静まるように、小さな王国には確かな平穏が訪れた。

 ……それでも、深遠なる湖底の地面を割り、暗い音を漏らしながらひそやかに浮上し空気に触れて弾ける泡がある。

 古の伝説が薄れ始めた頃、幾度目かの災厄は訪れた。
 二代に続く王の早世、異例の空の王座、重臣の汚職。相次ぐ厄事にだれもがロヴァニアの崩壊を予想した――が、中枢の憂慮と民の不安と列国の思惑とは裏腹に不敗の栄光が翳ることはなかった。
 残された幼い王子は既に契約を交わしており、国は安泰。王子の成人をもって戴冠とすると《無名の騎士団》は発表する。
 賢者が求めるのがフィリシエラとディストレーンの血を受け継ぐ契約者である以上、王という称号は人間(じんかん)の俗な都合にすぎない。突き詰めると「王」が賢者と契約を交わす者を意味することこそが重要なのであり、賢者が認めた契約者であるがゆえ民は王を王として認め忠誠と敬愛を捧げるということになる。
 とはいえ過激で危険な策という事実には違いなく、当初はシ・ア・ランスを中心に一頻りの混乱を招いた。が、幾許もなく迷わない意思と乱れない指揮、揺るぎない平和への安堵を認め、ロヴァニアの民はそれを信頼し、受け入れ、支持するようになった。滅多に表に出ない《無名の騎士団》の活躍を目の当たりにし、変わらぬ結束を確認し、輝かしい伝説が現代に蘇るような感覚に魅了されさえした。
 他国の民は到底理解しえない概念に、人外にある者との揺るぎない絆に、言いえぬ畏れを抱き沈黙した。
 ――しかしながら、奇妙な空白は予告もなしに幕を下ろされ、再び人々を驚愕させる。
 その間約七年、予定より四年早い即位だった。


 賢者の樹の詳細はいまだ明らかにはされていない。王宮にある巨大な聖画が、彼の姿を世に伝える唯一の印である。




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