back/ site top/ next




 大きなじゃがいもが、ごろごろと転がっている。主賓の好みにあわせて、にんじんは小さめ、お肉は多め。どろっとした深い色のカレーから覗く、真っ白なご飯。
 幸せの象徴みたいなほわほわの湯気。
 食器の大きさは、倍くらい違った。まるで大人用と子供用みたいだ。
 カレーライスとサラダとスープと麦茶をテーブルに並べ、二人で手を合わせていただきますをする。
 藤井くんはテレビっ子だ。久しぶりに藤井くん家に上がったけど、ご飯時にテレビをつける習慣は変わっていないみたいだった。
 料理を運んでいる最中に、思い出したようにリモコンをぽちっと押して、当たり前のようにペットの情報番組をつけていた。
 スタジオには犬猫がいっぱい。VTRが切り替わっても切り替わっても、登場するのは頬摺りしたくなるくらいかわいい犬猫ばかりだ。けど、普段だったら視線は犬猫に釘付けになってるはずのに、今日は違うみたいだった。
「あの、どうですか?」
 カレーライスで外れって、私は小中学校の飯盒炊飯以外聞いたことがないけど。しかもあれほど自信満々に自画自賛しておきながら、少し緊張しつつ聞いてみる。藤井くんはスプーンの動きを止めて、ちらりと目を上げた。あっさりと頷く。
「うまいよ」
「それはよかったです。お誕生日おめでとうございます」
「こちらこそどうも」
 再びカレーに手をつけ始めた彼を見ながら、ふぅ、と安堵の溜息をついた。暖かい食卓は安心と共に眠気をもたらすのか、なぜか欠伸も出てしまう。寝不足の日が続いたしな…。
 目をしぱしぱと瞬きさせてから、ようやく自分も食べ始めた。って、毒見させたわけじゃないから。味見はちゃんとしたから。
 じゃがいもにスプーンを入れると、ほこっと二つに分かれる。煮崩れしなくてよかったと思いながら口に入れた。
 前を見ると、もう三分の一ほどなくなっている。
 藤井くんは体が大きいからか、よく食べる人だ。がっつく印象を与えるわけじゃないんだけど、食べっぷりがいいというか、気持ちいいくらいによく食べる。凝ったものよりシンプル系が好きみたいだけど、単純で飽きないみたいだからメニューに困らなくていいと思う。
 こういうやつが彼氏だと、彼女は嬉しいと思うんだけどなぁ。そしてここ重要なんだけど、楽だし。前の彼女は家庭的な感じだったのに、なんで別れちゃったのかな。
 自分のことは棚に上げて、かなり余計なお世話なことを考えた。
「何?」
 じっと見てたことに気がついたのか、口にあったものをごくんと飲み込んでから真面目な顔して聞いてくる。
 見た目も、無愛想なだけで悪くはないと思うけど。顔の輪郭きれいだし。今時って風ではないけど、ちょっと賢そうだし。体格もスポーツやってましたーって感じで、背も高いし。
 ただし目つきが悪くて、柔軟剤のコマーシャルみたいなやさしい爽やかさは望めそうにないけど。というより、自分がそうだからってやつまで振られたと決め付けてるのはアレだけど。
 そこまで考えて、しばらく質問を放置していたことに気づき、私は慌てて口を開いた。
「あー…、えっと」
「ていうかお前、ケーキのために食事減らすのやめろよ」
 わたわたしてると、さっさと流されて逆に突っ込まれる。また子どもみたいな注意をされてしまった。
 バレたか。って、小皿にしておいてバレないも何もあったもんじゃないか。
「うん、あっ」
 タイミングよく、テレビの画面が切り替わった。これはいける、ような気がする。素早く反応して注意を逸らしてみることにした。
「テリア系だ。なんて種類だろ。そうだ、久々にぽかちゃんお散歩券をプレゼントしよっか?」
「それでごまかされるとでも? 券はもらうけどな」
 …気のせいだった。全然いけなかった。むぅ、手強い。そして、ちゃっかりしている。
「えーっと、今日だけだって」
 子どもみたいな言い訳をしてしまった。藤井くんはまったく信じていない顔で小さく息を吐き出す。今日は溜息が多いなぁ。


 よく覚えていないんだけど食後の紅茶は藤井くんが用意してくれることになり、ついでに食器を集めて台所まで持って行ってくれた。
 夏負けと寝不足なのと心の負担が残っていたのとで、待ってる間、いつしか私はうとうとと居眠りをしていたみたいだ。
「…あれ?」
 ふっと目が覚める。藤井くんは戻っていて、また分厚い本を読んでいた。今日その本を何回か見たけど、課題でもあったのかな…。
 慌てて時計を見たら、十分余りしか経っていなかった。これで長時間爆睡だったらみっともなさすぎだ。
「あー、ごめん。えっと…」
 さすがに気まずくて気恥ずかしくて、笑ってごまかそうとしたけど、本から目を上げた藤井くんを見て言葉が途切れた。…もしかして、怒ってる?
「疲れてるんだったら早く帰って休めよ」
 はぁ、と深い溜息をついて藤井くんは低い声で言った。悪いとは確かに思ったものの、たかだか十分程度居眠りしただけでこんなに腹を立てられるとは思わなくて、私は困惑する。
 そもそも今日の藤井くんは、きつかったりやさしかったりの波が大きくて、私同様に変だったような気がする。
「だって、ケーキは」
「やる。持って帰って食え」
「…居眠りしたくらいで、そこまで怒ることないのに」
 一つ言えば一つ言い返す私にさらに怒りが掻き立てられたのか、藤井くんがきつい声を出した。
「いいから、帰れって。そうやってふわふわと落ち着きがないから、お前は周囲に迷惑かけるんだよ」
 ――ぐらっと床が揺らいだみたいに。
 それは確かに自分で思ったことではあるけれど、他人から言われるとものすごくショックだった。一瞬、息ができなかった。
「…なんだね」
 声も掠れてうまく出ない。どうしよう。胸が破れそうだ。言葉というよりも石の塊を吐き出すような痛みを喉に感じながら、私は声を振り絞る。
「迷惑なんだね。ごめん」
 心臓を雑巾しぼりにでもされたように、痛い。体の中を痛みの粒子があちこちぶつかり反射しながら走っていき、指の先にまで及ぶ。ぶるっと体が震えて、知らないうちに握り締めた手で胸を押さえていた。
 こんな時に、なぜか須藤さんの顔が頭をよぎる。胸がえぐられるような感覚。――もうあんなのは嫌だ。
「わかった、帰る」
 低い声で言って立ち上がり、部屋の隅においてあったかばんを取る。一刻も早くここから去らないと、大変なことになる。タマネギを刻む予定はもうないし。
 けど、せっかく急いでいるのに、どうしてか藤井くんが焦った声で引き止めてきた。
「待てよ、送るから」
 その言葉に腹が立つと同時に、とてつもなく悲しくなる。
 この状態で車ってどういうことだ。耐えられると思ってるのか、このバカ男。変なところが律儀というかやさしい。
 …変なところだけじゃないか。
 ごめんね、やさしさに甘えてたのは事実だと思う。自覚してて甘えたから、反論の余地もない。だけど、本気で迷惑がられてるとは思ってなかったんだよ。
 言われるまで気がつかなくて、ごめん。
 ていうか、それこそがやさしさに甘えて迷惑ってことか。わかってたつもりでわかってなかったのかな。わかってなかったんだろうな。何回同じようなことを繰り返すのかな、私。
 なんだかぐるぐると堂々巡りだけど…鈍くてごめん。
 言いたいのに、喉が詰まって言葉にならない。なんとかの一つ覚えのごとく、ただ言い張ることしかできなかった。
「いいよ。帰る」
「待てって」
 怒ったような声を出して、藤井くんは顔も見ないで部屋を出て行こうとする私の腕を取った。力いっぱい払いのけたのに、もう一度、次は強く掴まれる。
 引いても振り回しても解けないので、私は苛立った声を上げた。
「ケーキならいらない!」
 悲鳴みたいな耳障りな声だとどこかで思う。様々なことが膨れ上がって、破裂しそうだった。
 迷惑だったなら、どうして幸せを分けてやるなんて言うんだろう。いらないよ、そんなのいらない。ない方がいい。
 和んで救われた分だけ辛くなる。
 あれだな、藤井くんは捨て猫を見たら無視して素通りできないタイプなんだなきっと。
 とはいえ、私は捨て猫じゃないんだから、責任とか要らないはずで。その場だけでも幸せをもらったらそれでいいはずなのに…そうじゃない。ダメダメな弱さが、ここでまた一つ。
「食べないなら捨てれば?」
 しかも、こんなに嫌なことを言ってしまう。口に出した言葉は自分にも返ってきて、心をぶった切りにする。
 …どうして素直に帰してくれないんだろう。待ってどうするというんだろう。長く留まった分だけ苦しさに耐えられなくなって、酷い言葉を吐いてしまうだけなのに。
 保たないよ。私が悪いのはわかってるよ。だから、もう一人でいさせて。触らないで。
 逆ギレに近い状態で私は藤井くんを振り仰ぎ、睨んだ。
「放っておいてよ」
 藤井くんは、怒ったような、厳しい顔をして私を見下ろしていた。悪役どころか極悪人顔だ。エロが足りないから悪代官様にはなれないと思うけど。
 これ以上どこにも触れられたくなくて、せめて視線だけでも跳ね返そうときっと睨み続ける。必死で目に力を入れていた。強く睨む。視界が滲んでも、ただただ睨みつける。
 瞬きをしたら、涙がこぼれてしまうから。
「…勘弁してくれよ」
 ――均衡を破ったのは藤井くんだった。ふ、と息をつくと頭をがしがしと掻きむしり、低く吐き捨てる。同時にいきなり手を引かれ、腕の中に閉じ込められた。
 驚いて抵抗しかけた私の耳に、抑えたような、けれどはっきりとした声が飛び込んできた。
「俺、自分でもどうかと思うんだけど、お前が好きだ」

 すべての動作が止まる。瞬きを忘れた目から、取り残された涙がほろりとこぼれていった。



+back+  +Line-top+  +next+