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 後半の告白が余りに衝撃的で、前半の失礼な部分は聞き流していた。混乱した頭で、呼吸さえ忘れて藤井くんを見つめる。至近距離にいる彼は、真剣な顔で私を見ていた。
 どきん、と心臓が大きく跳ね上がる。
 息苦しいような、熱っぽい視線。慌てて目をそらしてしまった。…うそ、と笑い飛ばすことはできなかった。
 冗談じゃないことは、さすがにわかるから。
「…そんなこと…」
 掠れた声で言いかけて、まだ彼に捉われていることに気づく。彼の胸に手をあてて押し戻そうとしてみたけど、やはり解放してくれなかった。腕の中は熱くて、くらくらする。
「悪かった。勝手に苛立ってた。…スーパーで、しばらく誰ともつきあいたくないって顔をしただろ? だからしばらく待つつもりだったし、こんな風に伝えるつもりもなかった。でも、もう限界なんだよ。おかしくなりそうだ。ていうか、もうなってる」
 耳元で呻くように言う。聞いたこともないような、切ない声。伝わる振動が、胸の底まで響いて私をゆさぶった。
「だって、迷惑だって」
「こっちは抑えようと必死で努力してんのに、お前が煽ったりするからだ。あまりの鈍さに腹が立って、今までの苛々をまとめてぶつけた。…迷惑なんかじゃない。一番酷いことを言ったな、ごめん」
 やさしい言葉が、不安と混乱に削られてささくれ立っていた心に浸透していく。再び込み上げてくる熱いものを、私は必死で堪えた。
「でも、どうして…」
 何が言いたいのか自分でもわからない。どうすればいいのかわからなくて、顔をもう一度見ることもできなくて、私は藤井くんに抱き締められたまま立ち尽くす。
 だって、思ってもみなかった。先週、妙ちゃん家で須藤さんのことを突っ込まれた時だって、普通に会話に加わってたのに。興味もなさそうだったのに。
 本当は、平気じゃなかったの?
「どうしてなんてこっちが聞きたい。ただ、お前が他の男のものになるのを見るのは嫌だ」
 棒立ちになってる私の肩に顔を埋めて、藤井くんが苦しそうに呻いた。腕にますます力が込められる。拘束がきつくなるほどに、ドキドキと心臓の音が大きくなっていくような気がする。
 痛いよ。私も苦しくなってくる。
「お前を一番知ってるのも一番近くにいるのも俺だろ? 違うか?」
 短い髪の毛がちくちくと首にあたる。…違わない。
 それは否定できなかった。たぶん、素の私を一番よく見ているのは藤井くんだと思う。家族でさえ、というより家族だからこそ、私はぎりぎりで弱さを隠そうとしてきた。
 千春ちゃんと千明の間に挟まれて埋もれて、いつしか逆に利用して隠れることを覚えた。まるで自信がないくせに弱さを隠して、いつもなんでもない振りをしてきた。
 そういうことも、藤井くんが一番知っているかもしれない。学生だった頃に少しだけ話したことがあるから。だけど。
 ――だからこそ、私は怖かった。信じた人に裏切られるのが。そして、それが怖いまま誰かとつきあって、また傷つけてしまうことが。
 傷つけて傷ついて、悲しい思いをお互いするかもしれない。それこそ、今さっきのように。次はきっと、台所でタマネギを切るだけじゃすまなくなるだろう。
 ただの友達だから許し許されていたことが、恋人になって変わってしまうことってきっとある。
 藤井くんは怖くないのだろうか。今までの関係が壊れてしまうことが。
 震える唇から、ようやく声を押し出す。
「…藤井くんの代わりはいないのに、どうするの? 何かあったら、そこで終わりになっちゃうかもしれな、…っ」
 いきなりキスされた。一瞬頭が真っ白になる。そして、抵抗を思い出した時にはもう彼の顔は離れていた。
 喉元まで上がってきた罵声は、彼の視線とぶつかった瞬間そのまま喉に張り付いてしまった。
「お前、自分の言ってることわかってる?」
 肩を掴む強い手。間近から覗き込む強い瞳。まるで読めない、深い瞳。つかまって、今度はそらすことができなくなった。
「な、何が」
 詰まった声を強引に出す。怯んでしまったのを隠そうとしたけれど、語尾が震えてしまう。それでも、今度きたらグーで殴ってやろうと心の準備を固めた。
 そっちこそ、自分が今したことがわかってるのか自分の胸に聞いてみるべきだ。
 と、じっと私を見つめていた藤井くんが目元を緩める。苦笑に近いような表情だ。
「バカだな、お前。隙だらけだ」
「な…っ」
 からかわれたと思って、一気に心が冷える。青ざめた私に、藤井くんは落ち着いた口調で畳み掛けるように言う。
「黙って見てるより、何かあった方がマシだな」
 …。藤井くんて、こんなにポジティブシンキングの人だったっけ。どういえばいいのか、――どうしよう。まずい。丸め込まれそうになってる気配を感じる。
 この近すぎる距離に慣れ始めている。
 私が実は押しに弱いことくらいわかっているだろうから、騙されないようにしないといけない。ふにゃふにゃになりそうな頭に渇を入れつつ考えていると、藤井くんは今度こそはっきりと苦笑した。
「こんなに疲れる女いねぇよ。お前は小動物か。妙に敏感。そのくせ、許しがたいレベルで鈍い。…滑車を回すハムスターを見てるみたいだな」
 突然普段の調子に戻る。思わず拍子抜けして、仮にも口説いてる相手に言う台詞かと疑いの眼差しを投げたところで、藤井くんが手を上げた。
 びくっと反射的に身を引いた私の頬を、そっとたどる。やさしいような、腹立たしいようなもどかしいような、どこか切羽詰ったような表情を浮かべて。
「好きな女が独りで泣いているのを黙って見てるより百倍マシだ」
 指先から触れられた肌に熱が沁み込んで広がっていく。閉ざしても閉ざしても閉ざしきれない隙間から滑り込むかのようにゆっくりと、でも確実に。私は目を瞠って、半ば呆然と彼を見つめる。

「どうして…」
 こんなのは、ずるい。隙だらけと言った口で隙を突いてくるこの男。こんなのを、どうやって塞げと言うんだろう。
 知らない。私は、知らない。
 藤井くんが少し困った顔になる。
「泣くなよ」
 知るか、バカ。お前が泣かせたくせに、と罵ってやりたかったけれど言葉にならない。いろんなものがごちゃごちゃに固まったまま込み上げてきて、どうしようもなく痛かった。…痛くて苦しいことを、藤井くんなら受け止めてくれるかもしれないと思ってしまった。
 ぱた、と藤井くんの手の上に涙が落ちる。
 まるで何かの罰ゲームのごとく、藤井くんにはみっともないとこばかり見せているような気がする。最初はなんだっけ、大学生の時で知り合ったばかりの頃だっけ。次は先代の飼い犬が死んじゃった時で、その次は…。
「泣くなって」
 繰り返して、子どもにするみたいに私の頭を撫でてからふわりと背中に手を回して抱き直す。もう抵抗はできなかった。
「…うっ……」
 止まらなくなった涙を隠したくて、シャツにしがみついて顔を埋めた。



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