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 うぅ、罪もないのに叩かれたお風呂場の逆襲に違いない。のぼせてしまった。胸がむかむかして気持ち悪い。こめかみが脈を打つ度に頭の中でぐゎんという音がする。
 壁を伝ってお風呂を上がり、なんとか着替えをすませる。狭まった視界の中よろよろとしながら部屋に戻ると、藤井くんの驚いたような声が耳に飛び込んできた。
「お前真っ赤だぞ、大丈夫か?」
「うん、のぼせただけ…」
「足元危ないって」
 強い腕にしっかりと抱きとめられる。ベッドに寝かせようとしてくれたのがわかったので、緩く首を振った。あぁ、頭ががんがんするなぁ。
「髪の毛乾いてないから濡れるよ。床でいい」
「バカ、そんなことを気にしてる場合じゃないだろ」
「床の方が冷たいし…単にのぼせただけだから、本当に大したことないよ」
 ベッドの脇まで連れてこられてもまだ言い張るので、藤井くんは大きく息をついて床に置いてくれた。ひんやりとしたフローリングが気持ちよくて、目を瞑る。
「湯が熱すぎたか?」
「ううん、気持ちよかった。ただ、つかりすぎた」
 いつも冷えてる指先までもが熱い。床に手を広げて置いて、熱を冷ます。横になっているだけで、だいぶ楽になった。
「子どもかよ。…驚かすな」
「うん、ごめんなさい」
 真剣な口調で言う藤井くんに、私は真剣に謝った。本当、お世話かけっぱなしでごめん。…迷惑じゃないって言ってくれて、ありがとう。
 顔が赤いのは、のぼせたせいではなく恥ずかしさのためだったかもしれない。
 ふと藤井くんの気配が消える。あれ、と思っているとすぐに戻ってきて、頭の辺りに腰を降ろす。かちゃかちゃと音がしてるなーとぼんやりしていたら、いきなり騒音とともに風を感じて大声を上げてしまった。
「わ! って、これって」
「ドライヤー。髪が濡れたままじゃ風邪をひくだろ」
「いっ、いいよ、そんなことまでしてくれなくでも。後から自分でやるし」
 制止の言葉を無視して――もしかしたらドライヤーの音で聞こえないのかもしれないけど――藤井くんは作業を続ける。途中で体の向きを変えるように指示をして、反対側まで丁寧に乾かしてくれる。
 音が止んだ頃には、貧血状態からも回復していた。むっくりと起き上がった私に、お茶の入ったコップが差し出される。ドライヤーと一緒に用意しておいてくれたらしい。
「ほら」
「…ありがとう」
 素直に手にとって、一口含んだ。冷たすぎない温度。喉を滑っていく感触が心地よい。もう一口飲んで、コップをテーブルに戻した。
 テーブルにはビールの缶が置いてある。お茶はまだわかるけど、歯磨きしたのにビールを飲んだのかぁと、関係ないことを考えながら髪の毛を軽く整えた。
 ふう、と息をつく。そして徐々に、火照りがひいたはずの顔に再び熱が昇ってきた。

 …えーと、どういう顔をすればいいんだろう。あまりに格好悪くて、恥ずかしくて、振り向くことができない。固まっていると、ピピッ、とかすかな音がして明かりが落とされた。
「…三崎」
 背後から腕が伸びてきて、抱き寄せられる。背に当たる硬い胸板。腕に込められた強い力。抑えた息づかい。暖かい舌が耳をなぞる。
 瞬間、ざわっと冷たい震えが背筋を駆け抜けた。
「――やだっ」
 考えるより先に拒否反応が出て、身を捩る。怖い。後ろから乱暴に抱きすくめられた感触を、突然思い出した。
 動きを止め、でも腕は解かずに藤井くんが静かな声で聞いてくる。
「何が? …俺が?」
「……後ろが…」
 緩く首を振る。しばらく間が空いた。どんな顔をしているのか、見えないから不安が募る。離れようとしたけど、やはり許してはくれなかった。
 ここで理由とか聞かれても、うまく答えられないだろう。別の時に思い出すとも思っていなかった私は、自分自身の反応に軽くショックを受けて混乱もしていた。
 何か説明しなきゃいけないのかな。…それとも、白けられたかな。
 奇妙な沈黙に我慢できなくなり始めた頃、藤井くんは長い息を吐き出した。そして、耳の裏にそっとキスをする。
「大丈夫」
 囁くと、今度はうなじにやさしく口付けた。ぶかぶかのタンクトップの裾に手をかけると、すっぽりと身体から引き抜く。
 一度脱いだ下着を着る気にはなれなくて、下には何もつけていない。頼りなくて、思わず胸を手で覆ってしまった。
 昔、まだ中学生だった頃。やばいくらいに顔と身体がぱつんぱつんになってしまい、しばらく母と千春ちゃんにからかわれたことがある。元がガリだったので目立ったんだろうし、私は昔から軽いノリで突っ込みやすいような子どもだった。
 いわゆる二次性徴というやつだったんだと思う。いつの間にかまた元に戻っていたけど、なんというか、今でも人の目に晒すのは怖い。男の人なら尚さらだ。
 プールだって、平気そうな顔をしているのがやっとなくらいなのに。
 いろんな要因が重なって、少し震えてしまったかもしれない。服を脱がせるために外した片腕を戻して、藤井くんは包み込むように私を抱きしめる。
「…大丈夫だ」
 もう一度。熱い吐息がかかる。また唇が押し当てられる。
 強張った背中に、丁寧に口付けを落としていく。上から降りていき、腰までいくと再び上に向かって辿る。びくり、と反応した場所を確かめるようになぞって、そして次の場所へ。
 次第に範囲を広げていく。
「……ぁ」
 思わず声が漏れてしまう。赤くなって慌てて両手で口を塞ぐと、伸びてきた手にやわらかく抑えられた。
 ただ唇で触れているだけなのに。なのに、触れられたところが熱を帯びる。じん、とした痺れにも似た感覚を身体の奥から感じる。熱と痺れが、身体全体を包んでいく。
 さっきのとは別の震えが背筋を走った。
「や、…んっ」
 声を出してしまわないよう歯を噛み締めていたけれど、我慢できなかった。…なんだろう、妙にドキドキする。普段が素気ないくらい淡白だから、こんなに丁寧にやさしく扱ってくれるような人だとは思ってもみなかった。
「…ふぁ…っ、……はぁ…」
 いつしかふわふわとした夢心地になってきて、身体から力が抜けた。
「嫌か?」
 くたりと腕に身を預けた私を胸元に引き寄せて、やっぱり静かな声で藤井くんが聞いてくる。ぼうっとした頭で、思わず正直に答えていた。
「ううん、いい……」
 けど、かすかに笑う気配を感じて、はっと我に返る。
「そっ、そうじゃなくて!」
「じゃなくて、何?」
 即座に突っ込まれて、絶句する。な、何って…。答えられるはずがない。
 無言で真っ赤になっている私を、藤井くんは腕の中で反転させてからベッドに押し倒した。



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