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 たぶん、ちょっと不安そうな顔をしてたんだと思う。シーツを握りしめていた方の手も取られ、指が絡められる。どくり、と心臓が鳴った。
「三崎」
 今度は私が名前を呼ばれる。覗き込んできた顔は少し硬かった。…そりゃ近くにきてって思ったけど…だから、強張ると怖くなるんだってば。顔が。
 あぁ、でもやっぱり目はやさしいな…私、おかしくなりすぎて一パーセントの法則に惑わされてるのかな。目つき悪いとやさしいは並び立つのかと思わなくもないけど、本当にそう見える。
 牛乳とご飯だって融合したらミルク粥という立派な一品になるくらいなんだから、そんな組み合わせだってありなのかもしれない。
 まっすぐに向けられた黒い眼を、震えながら間近で受け止める。注がれる熱と向き合いながら、心の底に埋もれている凍った棘みたいなものに思い切って触れてみた。
 ぎゅっと縮まる喉を深呼吸して宥めて、恐る恐る、口を開く。
「何かあった方がマシって、本当かな」
「当たり前。言っとくけど、何かあるってのはお前とだぞ。勘違いすんなよ」
 即答だった。吐き出される息さえ届く至近距離で目を合わせたまま、藤井くんはやたら力強く断言した。
 一度許したら、びっくりするくらいの勢いで雪崩れ込んでくる。私は、意思の強い彼に引き込まれていく自分に歯止めをかけることは難しくて、でもすべてを受け入れる準備も覚悟もできていなくて、だから合間をどこまでもうじうじとさまよっていた。
 なのに、離れる怖さより近づく安心を求めてどんどん傾いていく。
 それはとても危険なことに思えたのだけれど、ゆらゆらと伸びたり縮んだりしていた不安は、藤井くんの前では実体のない影みたいに思えてくる。
 …随分昔にほんの少しだけ、一回しか口にしたことがなかったのに、覚えてたんだ…。
 目元にキスを落として、藤井くんは続ける。
「で、お前と何かあった場合はなんとかすれば大丈夫だろ? 俺はそうする。だから、怖がるなよ。駄目か?」
「…駄目じゃない」
 一言でしか答えられないことにもどかしさを感じながら、もうひとつ、新しい位置に引っかかっていた針のようなものを怖気づく心に鞭入れしながら押し出してみる。
「藤井くんでも、時間のかかることがあるかもしれない。藤井くんが怖いわけじゃないよ。藤井くんを信用してないってことでもないよ。だけど…自信がないんだもん」
 全然うまく言えてない。でもこれ以上言葉が見つからない。精一杯だった。固唾を飲んで見つめていると、次は繋いだ指に口付けられる。
「いい、腹立たしくなるほどわかってるよ。それよりお前、話が一回捩れたまま繋がってループしかけてるぞ。俺が言えることは変わらない。なんとかするから怖がるな。…それで駄目じゃないんだろ?」
 素直に受け取っていいのか軽く疑問に思うような表現を挟みながら、これ以上ないくらい簡潔明瞭に言い切る。自分でもよくわかってない部分が、聞かされている藤井くんには見えているのだろうか。
 頭の悪い私にはそれすらわからないけれど、少なくとも騙されているという感じはしなかった。
 先に進むためなら、なんでもうんと言うのかもしれない。こんな時に男の人に聞く方がバカなのかもしれない。でも藤井くんは適当なことを言わないと思ったから聞いたんだし、信じたいとも思う。
 腕から肩へと上がってきて、身じろぎする私を押さえながら、藤井くんは鎖骨の窪みに唇を押し当て囁く。
「お前の代わりはいないから、何かあってもなんとかするんだよ。お前も俺の代わりがいないと思うなら、なんとかしようと思ってくれ。そうしたらなんとかなるだろ。迷うななんて言ってない。わからなくなったらそう言えばいい。どうするかなんて、その時考えればいいんだ」
 ――それでも、たとえ嘘であったとしても。
 私は泣きたくなるほど嬉しかった。そして、こんな単純で楽天的で、ある意味胡散臭い言葉に安心してしまう私のこだわりってなんなんだ…先の保障はどこにもないという事実に変わりはないのに。
「どうせ悩むなら俺の横で悩んでいればいい」
 だけど、だって、こんなにやさしくしてもらってこんなことを言われて、心が傾かない人なんていないよ…。
 最初は熱くやがてじんわりと沁みてやさしく体中に広がっていく感覚は、寒い日にあったかい紅茶を飲んだ時のような気分を思い起こさせる。
「……うん。ありがとう」
 涙ぐみそうになりながら言うと、藤井くんの肩から幾分力が抜けた。顔を上げて唇に唇を重ねると、ふぅっと微笑とも苦笑ともとれるような笑みを浮かべる。
「大丈夫だって言ってるだろ? 面倒だけど、俺はその面倒は嫌いじゃないからいいんだよ。ただ、ごまかすのはやめろ。一人で泣いてんな」
 胸のうちで反芻してから、私はもう一度、うん、と頷いた。ついにこぼれてしまった涙は、藤井くんの指に払われる。
 辛いどころか嬉しいものだったんだけど、なぜかだんだん悔しくなってきたので、私は軽く藤井くんを睨んだ。
「なんか…ずっと、余裕しゃくしゃくって感じなんだけど」
「風呂に入って頭冷やしたからな。ていうか、結構ギリギリだ」
「だから、どこが…んむっ、……んんっ」
 真顔で返してくる藤井くんにさらに文句を言おうとした瞬間、口を塞がれる。そして広い手で胸を弄ばれた。

 
 ベッドがギシ、と鳴って、唇をやわらかく乗せたまま藤井くんが腰を押し付けてくる。
 慎重な動作で、探るようにして藤井くんは進んできた。やっぱり苦しくて、私は絡めとられた指に力を入れる。
「…ん、…うぅっ……っん!」
既に高められていた身体は、敏感なところを掠められただけで跳ねてしまいそうになる。動きに伴って湿った音がして、中を潤していた液体が外に溢れていった。
「っ……ふぅ…」
 最後まで収まると、唇を離した藤井くんがおでこをくっつけてくる。皮を一枚剥いだみたいに表情がやわらかくなっているように、それでいて張り詰めているようにも見えた。
 でも、藤井くんはタマネギじゃないからいいな。ちゃんとしっかり中身があって。って、こんなこと言ったら叱られそうだな…。
 鼻と鼻を擦り合わせたり、頬擦りしたりしてくる。自分とは違う肌の感触。くすぐったくて、笑ってしまった。けど。
「ひゃっ」
 思わず変な声を上げてしまう。身体を捩った結果感じる部分に自ら刺激を与えてしまったような形になって、切ない痺れを逃すまいとするように、私は反射的に締め付けてしまった。
 藤井くんの顔がまたちょっと鋭く引き締まる。私の反応を見逃さず、すかさずそこを擦ってきた。
「や、だめ、…あっ」
 制止の言葉にも構わずゆっくりとしつこく撫でるように、と思えばいきなり引いて、奥まで突いてくる。初めはやさしく、次第に強く。濡れた音が耳に届く。
 身体の隅にたゆたっていた疼きがまたもや熱く騒ぎ出す。
 いつの間にか両の手が離れてしまっていることに気がついて、再び意識に濃いもやがかかってくる中で必死で藤井くんに腕を伸ばした。でも、なんだか遠いような感覚で思うように動かなくて、意思も乱されて。水中でもがく人のようになっていると、胸を揉まれ、先を摘まれて引っ張られた。堪らず背中が反り返る。
 のけぞる喉に口付けながら、藤井くんは休まず突いてくる。
「んっ、…あ……、藤井くん、…藤、井くん…!」
 他事を考える余裕はとっくに奪われてしまっていて、私は訳がわからないくらい何度も藤井くんを呼んでいた。
 懲りずに手を伸ばして、ようやく藤井くんの身体に回す。もっと近くに行ってみたい。でも、汗が邪魔をするしバランスも悪いみたいだし、気持ちも急いているからか結局思うとおりにいかない。
 ちょっと悲しくなっていると、藤井くんが身体の下に腕をくぐらせて抱き締めてくれた。
 支えをなくして密着した分だけ体重がかかって重い、けどその重さこそを感じたいとも思う。意味不明な涙が出そうになる。
 …向き合って近づいて、今更のように彼の鼓動を知った。
 暖かい、というよりむしろ熱い。火照ったお互いの身体が熱くて、触れ合った部分が溶けそうになってくる。
「…千佳…!」
 低い吐息の合間に名前を呼ばれて、それだけでざわりと鳥肌が立って中から震えてしまう。応えるように、体内で藤井くんが動く。
 でも…もっとほしい。藤井くんの近くにいることをいっぱい感じたい。大丈夫なんだということを、全身で感じたい。
 今はそれだけで十分だと思った。
 とはいえ必死すぎるんじゃないか私、と隔たったところで思いながら、自分からも縋りついてもっと近くに寄っていく。
「藤井くんっ……、ぅっ」
 瞬間、藤井くんの腕に力がこめられる。距離を感じなくさせるほどに深く腰を沈めて、揺さぶってくる。彼に合わせて、いつしか私も腰を動かしてしまっていた。
 ベッドの軋む音。薄明かりの中の藤井くん。乱れた息。苦しげに寄せられた眉。流れ落ちる汗。いやらしい音。自分の声。私の中ですべてがごちゃ混ぜになっていった。今までとは比べ物にならないくらいに急激な速度で気持ちいい痺れが膨れ上がり、全身を包み込んでいく。
 快感に引きずり込まれそうになって、ほとんど無意識で歯を食いしばった。
「……我慢しなくてもいいよ」
 ふいに藤井くんが呟く。同時に、いっそう奥深くを抉られた。
「――ぁああっ!」
 指先に、つま先にまで電気のような強い刺激が駆け抜けた。竜巻にでも呑み込まれたようになる。がくがくと痙攣する体とはまったく別のところで、弾かれた意識がぼうっと漂っていた。

 程なくして、藤井くんが全身でもたれかかってくる。
 ミが出そう。重さを確かめるにしても限度というものが…と思いつつ、私は倒れこんできた頭をそっと撫でた。彼はすぐに体を反転させて横に転がったので、腕の中の頭も離れていったけど、代わりに手を握られた。
 そのまま二人で呼吸を整えているうちに、疲れ切っていた私は、遠くの方に漂う濃い霧のような温い淵のような中へと、引いていく波に乗っかるようにして流されていく。



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