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 明るい。なんでこの眩しさに気がつかなかったんだろうと思うくらいに明るかった。
 隣の気配が消えていたので、寝ぼけ眼で姿を探すとすぐに黒い頭が見つかる。ベッドにもたれて本を読んでいるらしい。またあの分厚い本の続きなんだろうか。休日の朝だというのに物好きな人だな…。
 姿を見つけて安堵しながら、ふとサイドボードを見上げる。
 視界に入ったわんこ時計を見て、頭の中にぼわぼわと気だるく留まっていた眠気が大気圏の彼方まで吹っ飛んだ。
「うそ、十二時ぃっ!?」
 正確には十二時七分前だけど、そんなことはどうでもいい。びっくりして飛び起きる。眩い朝の光なんてどこへやら、灼熱の昼間の光の中、小鳥だってバテて鳴く気も失せているに違いない。
 最近寝不足のために寝坊するという悪循環が続いていたけど、今回は違うと思う。純粋に寝坊した。人体の限界に挑戦する勢いで爆睡してしまった。
 しかもまだ余裕満々で、挑戦しようと思ったらまだ挑戦できると思う。
「あぁ、おはよう」
 いつの間にか枚数が増えていたタオルケットにくるまって呆然と時計を凝視していると、振り向いた藤井くんが朝の挨拶をしてきた。テンション低っ。なんでこんなにいつもどおりなんだろう。そもそも、ええとその、初めて一緒に過ごした相手がこんなに惰眠を貪ってたら普通は引かないか?
 しかも挨拶間違ってるし。もうこんにちはの時間帯だし。
 …って、起きた傍から騒いで紛らわせているようになってるけど、やっぱり恥ずかしいなぁ。
 床に座っている藤井くんは開いていた本を脇に置くと、体の向きを変えてベッドに肘をかけた。穏やかに見上げる。そんな風に見られるとこっちは逆に落ち着かない気持ちになって、タオルケットを握る指に力が入ってしまった。
 急速に勢いを削がれ、私は若干顔を赤くしながら挨拶を返す。
「う、うん。おはよう。いつ起きたの?」
 とりあえず、顔を合わせることは問題なくできた。夜中にワンクッションあって本当によかった、けど、なんか私だけが過剰反応しているみたいだ。…これは自意識過剰っていうんだな、きっと。
 藤井くんを見ながら、何かが劇的に変化したり崩れたりするわけじゃないんだなーと思って胸の片隅でほっとした。
 藤井くんは、時計に一瞬目を走らせてから答える。
「さっき」
「…ごめん、寝すぎた。あの、次寝過ごしてたら起こしてね」
 藤井くんが起こしてくれなかったら、『わんわん、わぉ〜〜ん』に頼らなければいけなくなるかもしれない。けっこう切実に頼むと、必死な様子がツボだったのか、藤井くんは笑いを噛み殺すような表情をしながら立ち上がってベッドの端に腰掛けた。重みで片側が沈む。
 目線の位置が逆転というより見慣れたものに戻って、私は思わず息をつく。藤井くんは、そんな私の頭をぽん、と叩くように撫でてくれた。
「そんなに気にすんな。三崎には食い物と睡眠の話題がつきものだからな。そんなもんかと思ったし、熟睡してたから。お前、疲れてたんだろ?」
「え…う、うん。ちょっとだけ」
 睡眠時間について、理解を示してくれていることはよくわかった。頭撫でてくれるのはいいんだけど…他はあんまり嬉しくない。
 食べ物と睡眠がつきものって、彼の中で私はどんなイメージなんだ。昨日、自分でもどうかと思うとか言ってたような気がするけど、こういうことなのか。
 よくわかってくれてると思ってたけど、一度改めて確認した方がいいかもしれない。それが真実の姿すぎたら、悪いけど、足を思いっきり踏んづけさせていただきます。
 むぅっとして唸っていると、ふいに藤井くんがなんだかきまり悪そうな顔をした。あれ?と思ったら、言いにくそうに付け加える。
「…体調悪いところに無理をさせたと思って。悪かった」
 あ、そういうことか…。私の顔はますます赤くなった気がする。
 はいともいいえとも言いづらく、かといって他になんて答えればいいんだろう。まだ少しだるいけど、クーラーのせいでもありそうだ。体調ならよく眠れた分だけ最近ではいい方だと思う。気持ちだって、昨日よりずっと楽になってると思う。
「あと、無断外泊させただろ」
 心配そうだ。ぐーすかと寝てる間にいろいろ考えてくれた、のかな…。いい大人とはいえ一応実家だし、そういえば学生の時から終電には間に合うように帰ってたからなぁ。
 真面目なのは嬉しい。けど、そういった面で自分は呑気すぎたと申し訳ない気分にもなった。
 家に門限があるわけではないし、外泊も翌日の暗くなる前に帰ればそんなに問題はないのだ。夜は食べてくるっていったから、昨日の夜ごはんは用意してないはずだし。
 千春ちゃんがパイオニアとなってたくましく切り拓いてくれたおかげもあって、女ばかりの構成の家庭の割には、親が干渉してくることは滅多になかった。まぁ、何歳になろうとまったく心配してないということはないと思うし、自分と千明のために自由を維持する必要があるから、お母さんには一言話しておこうとは思ってるけど…。
 しばらく逡巡してから、とりあえず覚えたてのサブリミナル効果を伝えてみることにした。
「えっと、大丈夫だよ。自分の意思だし、体調もそんなに悪くないし、家はそんなに厳しくないから…」
 それにしても、どうして俯き顔で小声になってしまうかな、自分。情けないんだけど。


 シャワーを勧めてくれたので、ありがたく使わせてもらうことにした。
 その前に、私の分と藤井くん家の分の洗濯物をまとめて入れた洗濯機のスイッチを押しておく。会社の先輩から破格で譲り受けたという乾燥機の威力を見せてくれるらしい。
 再び借りたタンクトップと短パンで出てきた私に、藤井くんが、飯どうする?と聞いてきた。
 そんなにお腹空いてないし、ケーキがあるしな…。
「適当に野菜ちぎって、サラダにしようかな。藤井くんは?」
「カレーうどん。うどんの玉を買ってたよな」
「あ、うん」
 今の状況はあくまで不測の事態であって、単に残り物活用に便利だと思ってかごに入れておいたんだけど…あー、買っておいてよかったあぁ。偉いぞ、私!
 カレーソースでオムライスとか難題を言われたらどうしようと、ひそかにドキドキしていたのだ。だって、うまくひっくり返せないんだもん。
 胸を撫で下ろしていると、藤井くんが冷蔵庫を開けながらさらりと言う。
「別に構えなくても。過剰に期待してないぞ」
「えー…」
 そりゃ、期待されてないだろうなぁとは思ったけど、目の前でそうもはっきり言われると複雑なような…。私はなんとも言えない気持ちにさせられる。
 材料を取り出してきた藤井くんをちらっと見上げて、私は少しだけむくれた。
「…それはそれで微妙」
「じゃあどうすればいいんだ。お前こそ難題言うなよ」
 と、呆れられて軽く睨まれてしまう。軽くだから怖くならないってわけでもないぞ。
 …でもまぁ、そうだよね。ないものを期待されて困るのは私だし、第一急に期待されたらどうしていいのか戸惑うだろうし。
 納得して顔を見合わせた瞬間、何がおかしかったのかよくわからないけど二人で同時に吹き出した。

 めんつゆを使って自分で作るというので、私はサラダを二人分作って冷蔵庫に入れて、それからじゃがいもをつぶしつつ残ったカレーをタッパーに詰める作業をする。
 藤井くんも、手馴れた様子で準備を進めていった。彼の手に納まった包丁が小さく見える。おおまかな動きだけど、さすが一人暮らし暦二桁目前は伊達じゃない。
 見てると、無駄に張り合いたくなるなぁ。
 カレーの匂いが充満する場所にいると、ほとんどなかった食欲も刺激されてくる。藤井くんがお椀に分けてくれたので、めでたくカレーうどんにもありつけることになった。ささやかに幸運を噛み締める。
「いただきまーす」
 日曜午後にやっている三十分もののペット情報番組――それも再放送――を、またかこのペットオタク、と思いつつ並んで見ながら食事を取る。
 カレーうどんはおいしかった。と感想を述べたら、藤井くんはそうだろう、と威張ってくる。素直に二つも頷いてしまったけど、よく考えてみたら、それ、ベースは私作じゃん。
 …しまった、威張り返し損ねてしまった。なんか悔しい。
 テレビには、芸をする犬猫が入れ替わり立ち代り登場している。今日のテーマは「お宅のペットの特技」らしい。
 しばらく余裕がなくて疲れた状態が続き、親と千明にぽかちゃんの世話を任せっきりだったな…。今日は、日が落ちてからぽかちゃんの散歩に行こう。
 画面の向こうでエサに釣られて腹筋をする犬を眺めながらそう思う。
「心配。背筋も鍛えないとバランス悪くなるよね」
「ありえねぇよ。突っ込むところはそこじゃないだろ」

 その頃には、私もすっかりいつもの調子に戻っていた。



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