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 家に帰ると、我が家の愛犬ぽかちゃんの熱烈歓迎が待っていた。毛の長いジャック・ラッセル・テリアのぽかちゃんは、どんな時でも元気がいい。三年前、家に来た時から元気いっぱいだった。
 でもこれ以上ないくらいに消耗しきっていた私は、その無駄な活力にも疲れを感じてしまい、おざなりに頭を撫でてあしらってしまう。ぽかちゃん、ごめん。
 そのまま部屋に直行しようとしたら、リビングから姉の千春ちゃんが顔を覗かせた。
「お帰りー」
「あれ、今日帰ってたんだ」
 予定を変更して、リビングへと向かう。父はまだ帰っていなくて、母はお風呂に入っているようだった。妹の千明だけがテレビを見ながらくつろいでいる。
 一緒についてきたぽかちゃんがソファに上り、千明の横にくっついた。
「あれ、里世は?」
「一志さんと一緒」
 里世というのは千春ちゃんの娘。一志さんというのは遠田一志さん。千春ちゃんの旦那さんだ。
 千春ちゃんより二歳上の遠田さんは、ぬぼっとしていて一見頼りなさそうだし周囲からもそう見られてる節があるんだけど、そうでもないと私は思っている。少しわがままなところのある千春ちゃんをすごく大事にしているのが、見てるだけでよくわかるからだ。
 これまで千春ちゃんが付き合ってきた男の人とは全然違って、紹介された時は驚いたけど。
「あー、そうなんだ」
「里世はパパと離れたくないんだって。好きな人と一緒にいた方がいいしね、置いてきた。千佳は早かったね」
 里世は遠田さんのことが大好きで、何かと千春ちゃんと張り合っている。だから、千春ちゃんじゃなくて遠田さんについていくのは、遠田・三崎両家では特に不思議なことでもなかった。
 とはいえ、まったく堪えてないような笑顔で言う千春ちゃんは、我が姉ながらどうかと思ったりもする。
 最後の言葉は聞こえなかったふりをして、私は千明に目を移した。
「千明、今日は残業激しくなかったんだ」
 十時を回ったばかりだから、早い時間に入るだろう。事務職なのに、月末には帰宅が十一時近くになるのだ。忙しいにも程がある。
 そのうち壊れちゃうんじゃないかと常々心配していたりするんだけど、当の千明はのんびりとしている、ように見える。
「うん、珍しく書類山盛りの人がいなかったし」
 担当じゃない分までやってるの、と驚いたような千春ちゃんの質問に、千明は当然のことのように、うん、と頷く。千春ちゃんが呆れた顔をした。
「程々にしておきなさいよ。正直者とお人好しはバカを見るからね」
 珍しく千春ちゃんと意見が一致する。私も口を挟んでみた。
「うんうん。そのバカにはなっていいと思うんだけど、頑張るのも程々にしないと」
「…バカになれって、藤井くんも同じこと言ってたなぁ」
 一瞬首を傾げ、千明は溜息をつくようにして苦笑する。
 藤井くんは、付き合いが長い分だけ三崎家姉妹とは多少の面識がある。それはいいんだけど、複雑な気分になって私は顔をしかめた。
 らしいのからしくないのか微妙な線だし、私にバカとか言う時は素で扱き下ろしてくるくせに、なんで千明にだけ肯定的に使うんだ。
 いい子にはいい意味に、悪い子には悪い意味に、みたいな感じがして、なんだかな…。
「で、千佳は仕事じゃなくてデートだったんでしょ?」
 釈然としなくて唸っていると、千春ちゃんが好奇心いっぱいと書いてある顔で迫ってくる。話題転換が目まぐるしい。強引に話を戻したな…。
「ねね、どうなの?」
「…どうって、別に」
 口ごもる。でも「どう」って、うまくいってもいってなくても返答に困る質問だと思うけど…。
 遠慮なく聞いてくる千春ちゃんは、なんと言うか、私より五歳も上だというのに、結婚して三歳になる娘がいるというのに、いつまでも無邪気で変わらない人だった。背が低くて細くって、ふわふわの髪の毛。外見だけじゃなくて、中身も。
 『永遠の少女』のタイトルを進呈したいくらいだ。
「なんて名前だっけ、コーラかハンバーガーのコマーシャルにでも出られそうな人」
「須藤さん」
「帰ってくるの早くない?」
 二度目だ。さっきも聞いた。なぜ繰り返す?
「…そうかもね」
 気力もなくて、聞かれたことをそのまま返した。何が言いたいのかなぁ。疲れがどっと増す。助け舟を出してくれたのは、気配り上手の千明だった。
「千春ちゃん。お姉ちゃん、この前熱を出したし残業も続いてて疲れてるみたい」
 三崎家で「お姉ちゃん」と呼ばれるのは私しかいない。かわいらしい千春ちゃんは、子どもの頃から「千春ちゃん」と呼ばれていた。
 三姉妹の中で千春ちゃんは父方のおばあちゃん似で、私と千明は母系統の顔といった風に分かれる。さらにある原型をやさしい丸のイメージに沿ってつくると千明、尖った三角のイメージでつくると私、といった感じで。
「ちょっと立ち入りすぎな感じだよ」
 そしておとなしそうに見られる千明だけど、割とはっきりと物を言う子だ。人に嫌な感じを与えないおっとり口調で言われると、最終的には、私たち姉は彼女に逆らえない。
「あーそっか。ごめんね。また夏バテ? じゃあ早くお風呂入って休んだら?」
 ちょっと不満そうな顔で、でも千春ちゃんはさっと引いて気遣ってくれる。素直でかわいい千春ちゃんに憧れてた時期もあったな…。
「うん。そうする。ありがと、千明」
「お母さんが出たら呼びにいってあげるよ」
 傍らに寝そべるぽかちゃんを撫でながら、千明は笑った。ここにも癒し系が一人。
 千明がやさしくて強い子に育ったのは、わがままだったり自分勝手だったりする姉たちのせいかもしれない。あぁ、まさに今、千明に甘えさせてもらいたいかも…。情けないことを思いつつ、リビングを後にした。


 翌日、言われたとおり寝坊した。起きた時には遠田さんが迎えにきた後で、千春ちゃんはいなかった。来るのも突然なら帰るのも突然で、突風のような人だとつくづく思う。
 どうやらプチ夫婦喧嘩、というか千春ちゃんが癇癪起こして、それでパパの味方の里世は遠田さんから離れなかったらしい。と、千明から聞いた。
 昨夜の千春ちゃんの笑顔を思い出す。いつものように無邪気に笑ってたけど、今回はもしかしたら堪えてたのかもしれない。それで自分の話をせずに、人の話ばかりしつこく聞こうとしてたのだろうか。反省する。
 すぐ部屋にこもらずに、話をきいてあげればよかったな…。でも、またお盆に帰ってくるって言ってたよ、と母と千明が笑っていたので、たぶんけろっと仲直りしたんだろうな。
 千春ちゃんはいつも大騒ぎになるけど、じめっぽくならない。それはたぶん、彼女が羨ましいくらいに前向きで強いからだと思う。
 自分も周囲も傷だらけというのは考えものだとは思うけど。



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