雨はあがったものの、落ちてきそうな曇天だ。風もなく、湿度計が振り切れるんじゃないかと思うくらいどんよりと不快な空気が停滞していた。 流れる窓の外の景色を眺めながら、重い溜息を思わず吐いている。昨日は結局よく眠れなかった。 と、隣から声がかかる。 「顔色がよくない」 ハンドルを握る目つきの悪いこの男が、大学時代からの付き合いになる友人・藤井博人。白と黒とグレーと紺色以外の服を着ているところを見たことがなく、今日もジーンズに黒無地Tシャツだった。 嫌な印象を与えるわけじゃないけどいかにもぶっきらぼうな感じで、この人は営業スマイルなどマスターしているんだろうか、とか余計なことを時々考えてしまう。 ほんと、余計なことだ。…だめだ、気持ちを切り替えないと。 「お前、調子は戻ったのか?」 先週調子を崩して寝込んだことも知っているので、気にしてくれてるんだと思う。クーラーを控えめにしてくれていることには、気づいていた。 夏生まれの夏男で至って健康な藤井くんにとっては、少し暑いくらいかもしれない。ごめん。 無駄に無愛想な顔をしている割に、意外と藤井くんは気配り上手だ。千明といい勝負かもしれない。九十九パーセント性格の悪い人間が一パーセントの優しさを見せるとものすごくいい人に見える法則、に限りなく近いものを感じなくもないけど。 窓から視線を戻して、私は頷いてみせた。 「うん、大丈夫だよ」 …ただしあれは夏のせいじゃない、と思う。そのことについて考え始めると、またもや今日の空のような気持ちになる。 だから、悪いと思いつつ訂正する気にはなれなかった。 「出先で倒れたら迷惑だしね」 「バーカ、そういうことを言ってるんじゃねぇよ」 「バカって言うな」 ぶすっとして答えると、軽く眉を上げて横目で伺ってくる。脇見運転すんな。 「どうしたよ」 「別に。突発的な気分」 「お前なぁ、そういうのをなんと呼べと?」 むっつりしたまま前を向いていると、呆れたように藤井くんが言ってくる。間違ってないから腹が立つ。仕方がないので、正直に答えてやった。 「…『バカ』」 子どもの喧嘩みたいになってきたな。同じことを思ったのか呆れ指数マックスになったからか、藤井くんは軽く吹き出した。 あー、本当にバカな子みたいだ、私。 気を取り直して、営業の後藤くんが事務陣にいかに虐げられ…もとい、かわいがられているかを話すことにした。藤井くんは苦笑している。同性として、後藤くんに同情しているのだろうか。 「楽しそうだな」 確かに、沢村さんは楽しそうかもしれない。 うわーん、という泣き声がかすかに耳に届く。この距離でかすかだということは、たぶん大泣きだ。大変なことになってそうだ。 いや、藤井くんは隣にいるし、泣くにはまだ早いですよ、と思いつつドアホンを押す。…タイミング悪かったかな。 押したはいいけど、返事がない。心配になってきて藤井くんと目を合わせる。と、うぎゃーんという声が近づいてきたと思ったら、がちゃっとドアが開いた。 「わーい、いらっしゃーい」 髪の毛を巻き巻きにしたお洒落な奥様の、笑顔全開爽やかなお出迎え。…ただし、腕に抱かれた一歳の娘は予想通り顔をくしゃくしゃにして大泣きしていた。 かわいらしい暖色のカラーでまとめられたリビングに通される。隅っこにベビーベッドやおもちゃの箱が置いてあったりして、すっかりベビー仕様だ。 「ごめんねー、起きたばかりでぐずっちゃって」 妙ちゃんは、申し訳なさそうに謝った。 さっきの大泣きはどこへやら、西田彩夏一歳一ヶ月はカーペットの上に座り込み、おもちゃのボタンをぴこぴこと押して遊んでいる。目があうと、嬉しそうににかっと笑った。 かわいいなぁ。ご機嫌笑顔だ。目元が妙ちゃんに似ている。 「あ、いいよ。こっちもごめんね、タイミングよくなかったね。彩夏ちゃん、寝てたの?」 「うん、もう少し寝てると思ってたんだけど。寝る前と起きたてにはもれなく機嫌を悪くする子だから、気を遣わないでね。こっちも機嫌悪くなっちゃうから、却って気が紛れて助かった」 話している間に、彩夏ちゃんは傍のテーブルに手を突いてよろよろと立ち上がる。少し突き出したお尻がアヒルのお尻みたいでかわいいな。 思って見てると、覚束ない足取りでカニ歩き風にテーブルを伝い、あろうことか藤井くんの傍に寄って行った。そのまま、彼の膝に手を移動させて見上げる。 そして、ん?というような顔で見下ろす藤井くんに、にこにこと笑って手を上げた。抱っこ? もしかして、抱っこ? 「…子どもって、ちょっと怖いものや不気味なものに異様に惹かれるんだよね」 「三崎、お前後で顔を貸せ」 素早く目の端で私を睨んでから、藤井くんは軽々と彩夏ちゃんを抱き上げる。お、なんかやさしい顔になっちょる。 まぁ、顔に似合わず犬好き――というよりペットオタクと言うべきか――で我が家のぽかちゃんの扱いもうまい藤井くんを見てて、子どもの扱いも上手そうだなぁとは思ってたけど。 背の高い彼に抱き上げられて、彼女は大喜びで手を叩いた。 「あー、嬉しいねー。ぱちぱちぱちー」 とりあえず、一緒に手を叩いておく。 |