back/ site top/ next




 その後は一緒に歌を歌ったり踊ってみたり。妙ちゃんのおもしろ半分愚痴半分の育児話を聞きつつ時間を過ごす。
 はしゃいだからか寝足りなかったからか、お昼を食べた後すぐに彩夏ちゃんは寝てしまった。布団に寝かしつけるために奥に引っ込んでいた妙ちゃんが、私たちがお土産に持ってきたプリンを三つ持ってテーブルに戻ってきた。
 生乳生クリーム仕様だからか普通のプリンより幾分白っぽい。スプーンですくって口に入れて、妙ちゃんはおいしいと言って顔をほころばせた。
 家の近所で売ってる『とろとろプリン』は、口当たりがよくて好評なんだ。いつでもどんな時でもおいしく食べられる。
「なんか意外。千佳、子どもの扱い慣れてない? あたしは助かるけど」
 意外とはどういう意味だ、藤井くんに向けてならまだわかるんだけど、とは思ったものの、一応返事をしておく。
「うーん、千春…姉のとこにもチビちゃんがいるからかな」
「あ、そっかー。そっちも女の子だったっけ。今幾つ?」
「もう三歳かな。最近パジャマも着られるようになりました。テレビに応募してみようかな」
 顔を合わせて、あはは、と笑う。よくわからなかったみたいで、藤井くんは首を捻っていた。
 この幼児のママ同士みたいな会話、彼にはわかるまい。というか、ノリノリで歌のお兄さんに変身されても怖いし。
「あ、もう少し愛想のいい顔をすればママ受けもよくなって、体操のお兄さんになれるかもね。もしくは、着ぐるみ系とか」
「嬉しくねぇよ」
 真顔で即否定される。そんなに嫌か。それは失礼じゃないか。オーディションとかあって、たぶん簡単になれるもんじゃないんだぞ。
 危うくプチ漫才を始めそうになる私と藤井くんを眺めて、妙ちゃんが「変わらないね」と嬉しそうに笑う。
「ほんと、千佳たちがきてくれてよかったぁ。時々狭苦しく感じてきておかしくなりそうで、我慢できなくて逃げ出したくなるんだよね」
「こんなので気分が晴れるなら、いつでもサービスです」
 ほっとした顔で息をついた妙ちゃんに、私は冗談めかして、でも真面目に言った。現実逃避が入っているかもしれないけど。
 だって、今日ここにいて重い気分が軽くなったのは私も同じだから。子どもは和むなぁ…。ほのぼのとしていたら、いきなり爆弾が投下された。
「世間に遅れちゃうし、夫は帰りが遅いし。そうだ、千佳の話聞かせてよ。彼氏の話」
「え、でも、話すようなことないよ」
 ぎょっとする。家だけでなくここでもか。
 にこっと邪気のない顔で話をふってくる妙ちゃんに、若干しどろもどろになりつつ手を振った。妙ちゃんは諦めない。
「やだぁ、普通の話がいいんだって。特別な話でもいいんだけどー。相手年上でしょ、結婚の話とか出ないの?」
「で、出ないよ。それどころ、…えっと、そんな気まだないし」
 普通の辺りで顔が引きつって、結婚の辺りで血の気が引いた。結婚なんて考えたこともなかったけど、それどころか危ない感じだよ…ちょっと泣きたくなる。
 知らないから仕方がないんだけど、妙ちゃんは、ふぅ、と不満そうに溜息をついた。眉の間にしわが寄っている。
「千佳って昔からガード固いんだよね。秘密主義っていうの? 水臭いなぁ」
「そうかなぁ、そうでもないと思うけど…」
 言いながら、だんだん声が小さくなってくる。語尾に被せるようにして、妙ちゃんはきっぱりと言った。
「そうよ。だって、話さないのは話したくないからでしょ。そういうことでしょ?」
 違う、と思うけど…いきなり急所を直撃されたように感じて声を出せなかった。
 手強いな。無邪気な笑顔で立ち入ってくるようなところはあったけど、主婦になってからパワーアップしている、ような気が する。
 前から思ってたけど、妙ちゃんは千春ちゃんに少し似てるな…。
 困り果てて、助けを求めようと藤井くんを見る。藤井くんは、他人の事情にまったく興味ありませんとばかりに、つまらなさそうな不機嫌そうな顔でテレビを眺めていた。
 まぁそうか、藤井くんは千明とは違うし。当たり前だけど。
「藤井くんは?」
 妙ちゃんも藤井くんを見ていた。獲物が反応の悪い私から藤井くんに変わったようだ。
「何が?」
「結婚の話。彼女と」
 平然と尋ねる妙ちゃん。すごいなぁ。未踏のジャングルに赴く探検隊より勇ましいかもしれない。
 唖然としていると、藤井くんはおもしろくなさそうな顔はそのままに肩をすくめて答えた。無愛想におもしろくなさそうが加算されて悪役顔になっている。
「結構前に別れたけど」
 
「えっ」
「えぇっ」

 声がハモった。思わず妙ちゃんと顔を合わせて、彩夏ちゃんを伺って、それから藤井くんに目を戻す。藤井くんは煩わしそうな表情になっている。当然か。私だって色々突っ込まれるの、やめてほしいと思ったし。
 でも、すごくびっくりした。全然知らなかった。自分のことも省みて報告しなきゃいけないことなんてないんだけど本当に驚いたし、なんというか…今そういう話題を耳にするのは心臓に悪い。目眩を感じた。
 確か社会人になってすぐだったから、三年以上は付き合ってたはずだ。
「じゃあ藤井くんは誕生日独り身なんだぁ。千佳、料理でも作ってあげたら?」
 気の抜けたような声で妙ちゃんが呟く。さすがに根掘り葉掘り聞く勇気はなかったらしい。どうでもいいけど、ここですらっと藤井くんの誕生日が出てくるところはすごい。マメな子だ。
 普通ならなんで私が、という話になるかもしれないけど、藤井くんに彼女がいない時は、学生時代から独り暮らししている彼に適当に作ってあげていた。
 何も私が料理上手で、ご馳走振る舞いますわはぁと、というわけじゃない。「いい機会だから練習させてよ、だって実家だから機会ないんだもん」という、料理修行と称するむしろ罰ゲームに近いものなんだけど。
 藤井くんだけじゃなくて他の人にもしていたことだし、オープンに話されるくらい特別な意味など含まないことなので、今回だって不自然ではない。
 だけど私は驚きすぎていて、とっさに反応できなかった。
「千佳、携帯鳴ってるみたいだけど」
「えっ、うそ、ごめん」
 おかげで、言われるまで気づかなかった。慌ててカバンから携帯を取り出し、表示された名前を見て一瞬固まってしまう。
 部屋の隅に移動して、耳に当てた。
『ああ、千佳ちゃん?』
「はい。えっと、どうしたんですか?」
 大学時代の友達の家に遊びに行くということは、話してあった。そういう時には電話を控えてくれるような人だったので、ふと思ったことを口にしただけだった。
 一瞬の沈黙の後に、穏やかな声で須藤さんは言う。
『別に用はないんだが、変かな』
「いえ、変なんかじゃ…」
 どこか危険な気配を感じ、私は慌てて首を振る。でも違う。本当は変だと思う。電話をかけてきたことよりも、その返事の仕方が。
 だけど私だって、もっと他に言いようがあったはずだった。仕事で疲れてるかもしれない須藤さんをもっと気遣うべきだった。気づくのが、いつも遅すぎる。
『いや、やっぱり変だったね。ごめん、また電話するよ。じゃあ』
 声を詰まらせたまま何も言えないでいると、須藤さんは少し笑って電話を切った。ものすごく、変だった。重い溜息をついて、私はテーブルに戻る。
 早速妙ちゃんが聞いてくる。
「彼氏?」
「…うん。土曜出勤してるみたい」
 うちの旦那も忙しいのよね、と妙ちゃんが相槌を入れる。夏なのに、という意見には同意だ。
「今年はどこも忙しいのかなぁ。昨日連絡できなくてごめんね」
「全然全然。それより千佳は体に気をつけてよ。今度倒れたら、子ども連れでお見舞いに行く。落ち着いて寝られないから、嫌なら倒れないようにしてよね」
「うん、ありがとう」
 微妙な申し出ではあるけれど、妙ちゃん式の気遣いは素直に嬉しい。だから、彼女の提案を受けることにした。
「来週誕生日かぁ。運転手してくれたお礼に、久々になんか作るよ。ていうか、またカレー?」
 藤井くんは、テレビから目を離さない。少し眉をしかめている。そして嫌そうにされると、無理にでも食わせたくなるのが人情というものだと思う。違うか。
「あっそう。じゃ、カレーだね」
 断じて八つ当たりではない。と思う。笑っている妙ちゃんに目を戻して、私は言った。
「それでは今日は、妙ちゃん家の夕飯を」
「素麺なのよね。午前中におつゆ作っちゃった」
 言いかけた途端に言葉を引き取られる。早っ。反応というより防御が早っ。
 呆れたように感心したように藤井くんが呟いた。
「抜かりないな、原…」
 こうして何も手伝えることがなくなったので、夕方には妙ちゃん家を退出することにした。ようやく起きた彩夏ちゃんに見送られた後は、藤井くんと夕食を一緒にするつもりだったんだけど、体調の悪い奴は早く休めと言われて早々に家に送り込まれてしまった。
 そして今度は千明から、帰るの早いね、と突っ込まれることになる。この前千春ちゃんに注意してくれたくせに。
 なんか嫌がられてる人みたいで、楽しい気分ではなかった。むっつりしていると、千明はぽかちゃんを連れて二階に引っ込んでしまった。
 …ぽかちゃんは置いてってくれればいいのにな。

 また電話をかけると言ったのに、その夜も日曜日にも須藤さんから連絡はなかった。



+back+  +Line-top+  +next+