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 何度も寝返りを打った。無理に寝ようとしたからかますます目が冴えてしまい、結局寝付いたのはたぶん明け方近くだったと思う。
 朝というよりは昼に近い時間、痺れを切らしたぽかちゃんに起こされた。ずっと相手してあげられない日が続いたから、相当機嫌を損ねているらしい。しばらくベッドの上で戯れてから起きることにする。
 頭やお腹をぐりぐり撫でるだけで、ぽかちゃんは大喜びだ。耳を倒し尻尾を振って、暑いのにも構わず体を寄せてくる。もしゃもしゃの毛が気持ちいい。
 頭は重いけど、すっごい当たり前な休日でちょっと和むな。…藤井くんとバカを言い合って元気出してこよう。
 満足したぽかちゃんと一緒に階段を下りて、ぽかちゃんは千明のいるリビングへ、私はお風呂場に向かう。


 暑いし、楽なワンピースを着ていくことにした。夏のバーゲンで買った、ライトグレーの無地の。
 冷房対策にクリーム色のカーディガンをはおり、見送りに出てきたぽかちゃんの頭を撫でて、午後の中途半端な時間に家を出る。
 外は暑かった。もわっとたちこめる湿気と強い陽射しにくらりと目眩を起こしそうになって、目をぱちぱちさせてから自転車に乗る。
 時間ぴったりに到着した電車に乗り込むと、車内は微妙に混んでいてざわついた雰囲気になっていた。それぞれの相乗効果で話す声が少しずつ大きくなっていき、大きめの声が標準になってしまうといったような。
 扉に寄りかかって、今日何かあったっけ、と思いながら流れていく景色をぼうっと眺める。遠方が熱気でゆらゆらと揺れていた。
 乗り換えの駅までは十分もかからない。途中で一度メールを送った。電車待ちがなければ、ここから五分で到着する。
 乗り換えた急行はさらに混んで騒がしかった。目的の駅に着き、改札を出る。人の密集地帯から解放され、肩で息をついてしまった。

 とはいえ、人の姿は多い。急行停車駅だけあって、けっこう大きめの駅なのだ。来る度に、普通しか止まらない家の最寄り駅と比べみたりする。そして虚しくなってみる。
 来る度ったって、三年ぶりくらいなんだけれども。でも、あまり変わらないなぁ。
 後から出てくる人の邪魔にならないよう隅に移動して、ぐるりと構内を見渡した。少し遅れるくらいがデフォルトの大雑把な人なので、まだだろうなと思ったら、予想は覆される。
 背が高いし、シンプルすぎてむしろ目につく。ワンパターンの白無地Tシャツにジーンズの見慣れた姿を発見して、なんとなくほっとする。
 向こうの方が見つけるのが早かったのか、わらわらと通り過ぎる人波を器用にすり抜けて逆行してきた。
 ぼけっと見ていたら、到着した彼に少し睨まれる。だから、間違って見ちゃった子どもが泣いたらどうするんだ。この間の彩夏ちゃんの反応を並だと思ってたら大間違いだ。たぶん。
「出てくる方が動くのが普通だろ?」
「あー、ごめん。よくぶつからないなぁと思って感心して見てた」
 速攻で言い返す。あぁ、余計なこと考えずに普段どおりで行けそうだ。長年の友人というのは、ほんとありがたいな。
 なんだかパブロフ的なものを感じなくもないけど、それでもいいや。
 と、藤井くんが急に真面目な顔して聞いてきた。
「ていうかお前、また顔色悪くねぇ? この前の失敗まだ引きずってんの?」
 …う、目ざといな。ほろっときそうになったけど、なんとか思いとどまった。
「あの件は終わったよ。ご心配おかけしました。…夏だし、ちょっと寝不足気味かもね」
 嘘をつかない程度に答えてみる。藤井くんは少し眉をひそめて、無理するな、とだけ言った。

 駅近くの中型スーパーに入る。…冷えすぎ。入った瞬間、身震いして両腕をさすった。暑いのは駄目だけど、冷房も苦手だ。
 けど涼しいし、いい時間潰しになるのかもしれない。土曜日だからか、家族連れが多いみたいだった。
 親子の大群は、室内遊園地やおもちゃ売り場がある階上へと向かっていく。カートに乗ったちびっこたちが、機嫌よさそうに足をぶらぶらさせていた。
 何気なく見送った先で、催事案内を見つけた。思いついて、食料品売り場に直行しようとする藤井くんのシャツの裾を引っ張る。
「何」
「藤井くんとこ、タッパーある?」
「少しならあるけど、なんで?」
 首を傾げた彼に、私はエスカレーターの横にある催事案内を指した。縦長の立てかけ式で、POP体で書かれた文字がどことなく懐かしさを誘う。ていうか、うちの近所のちゃちいスーパーと変わらない。
「多めに作って、冷凍保存用に小分けしようかと思うんだけど。ないなら、100均やってるからちょうどよくない?」
 ああ、と頷いて藤井くんは方向転換をする。それから思い出したように首だけ捻って振り向いて、釘を指してくれた。
「早く終わらせろよ」
 なんかつっけんどんだなぁ。へいへい、と頷いて、親子軍団に合流してエスカレーターに乗る。

 三階まで行って、「105円均一とアイデア商品市」と書かれた一角にたどりつく。けっこう混雑している。そして、こういうごっちゃなコーナーは私のツボにクリーンヒットだ。
「布団圧縮袋って一回使ってみたいな。掃除機で吸い上げるの、楽しそう。でもぽかちゃんに嫌われそうだなぁ」
 無駄口を叩きながら、台所製品のコーナーを探す。すぐに見つかった。が、いきなり目移りしてしまう。
「えっ、すごい。ふわふわな泡になって出てくるんだって。なんかよさげ」
 ボディソープケースみたいなものを手に取る。洗剤を入れて押すと、泡々状態になって出てくるらしい。これはほしい。
「なんで泡? 洗剤なんかそのまま使えばいいだろ」
 隣から発せられる否定的な意見は無視して、本気で悩む。
「家に買って帰ろうかなぁ」
「荷物になるぞ」
「…うーん」
 大きめのかばんを持ってこればよかった。確かに、軽いけどかさばるんだよね。冷静なご意見を頂戴して、結局諦める。
 と、未練を残しつつ置いた横から、また違うものが目に入った。入ったというか、絶対見逃せない。水中メガネみたいなそれは。
「うわっ、何これ。『タマネギシャッター』? しかも1575円税込価格!?」
「いらねぇよ」
 即座に突っ込まれる。反応早っ。まぁ、これを装着して料理されたら萎えるんだろうけど。
 でも、普通の水中メガネじゃだめなのか? 何がどう違うのか? タマネギエキス防御のために科学的根拠に基づいたすっごい工夫がなされているのか? とか、知りたくならないか? …ならないか。
 こんな調子であれこれ手に取りながら順に進んでいくと、調理系から食卓まわりのものに品が変わってくる。どうでもいいけど、ここ冷房効きすぎだ。寒いって。
 かがんだ姿勢から立ち上がった時に立ちくらみがして、僅かな間だけ動きを止める。視界が戻ってくると、また新しいものが目に飛び込んできた。
「わぁ、おみくじつき割り箸だって。ほしーい」
「カレーライスに箸が必要か?」
 呆れたように言ってから、藤井くんは溜息をついて私の腕を引っ張った。
「早く済ませろよ。タッパーはここ」
 ちっ、遊び心のないやつ。…少しくらいハイになったっていいじゃないか。不満の表情を浮かべた私に、彼は小さい子に注意するような口調で諭してくる。
「ここのスーパー、とてつもなく冷房効いてるんだよ。お前、体調がいいわけじゃないんだろ?」
 …まぁ、顔に似合わず気が利いてやさしいやつではあるけれど。と見直したところに、余計な一言が飛んできた。苛々したような声で。
「鈍すぎるんだよ。幾つだ」
 まだかさぶたの張る気配さえない新鮮な傷を刺激されて、私は言葉を詰まらせる。痛みを隠すために顔から表情も消して無視を決め込んだけど、それがいけなかったようだ。
 藤井くんが顔をしかめる。
「本っ当に態度悪いな、お前。彼氏の前でも素でそれか?」
 ――普通なら他愛もない憎まれ口になるはずで、藤井くんが悪いわけじゃない。ただ、今まで一度もそういう突っ込みをしたことのない人だったから、油断してた。
 こみあげそうになるものを、唇を噛み締めてぐっとこらえる。ふい、と横を向いて抑えた声で言い返す。
「…よくわからない。もう会わないから知らない」
 何が、とか、なんで、とか聞いてきたら殴ってやろうかと思ったけど、彼は一呼吸ほど置いてから、あぁ悪かった、と短く呟いただけだった。
 謝られて、中途半端に胸の内に収まる。

 その後の食材買出しは、二人ともほとんど無言だった。



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